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国際交流・留学にすぐには役立ちそうにない教養講座55


ー世界に「日本が存在していてよかった」と思ってもらえる日本に…

 

No.  55 鶯逐軽風不在林の「孫文のいた頃」

 

 

酬金部王郎中省中春日見寄   盧綸

南宮樹色曉森森 雖有春光未有陰

鶴侶正疑芳景引 玉人那為簿書沈

山含瑞氣偏當日 鶯逐輕風不在林

更有阮郎迷路處 萬株紅樹一溪深

 

《〈金部(きんぶ)ノ王郎中(おうろうちゅう)ノ省中(しょうちゅう)ヨリ春日ニ見寄(けんき)セシニ酬(こた)フ。》

南宮ノ樹色曉ニ森森タリ、春光アリト雖モ未ダ陰有ラズ。

鶴侶、正ニ芳景ニ引カルト疑ヘド、玉人、那(なん)ゾ簿書ノ為ニ沈マン。

山ハ瑞気ヲ含ミテ偏(ひと)エニ日ニ当タリ、鶯ハ軽風ヲ逐ヒテ林ニ在ラズ。

更ニ阮郎ノ迷路スル処有アリ、万株ノ紅樹一溪ニ深シ。

 

【盧綸・ろりん】739‐799・中唐の詩人。蒲州・河東県(現在の山西省運城市・永済市)の人。『盧戸部詩集』10巻

【現代語訳】《金部郎中王さんが、尚書省から、春の日に送ってくれた詩に、答える》

南宮(尚書省)の庭の木々は、明け方には青々と繁り、春の光はさしているが、まだ濃い木陰をつくるほどではない。

官吏としては、まさにこの香り高い春景に誘われて来たのではないかと思えるが、あなた(玉人=王郎中)は、どうして役所の事務仕事に沈んでおられるのだろうか。山々はめでたい気を含んで、ひときわ陽光を受け、鶯(うぐいす)は軽やかな春風を追って、林の中にはいない。さらに、その山にはあの阮郎が道に迷ったという場所があって、万株の紅い花木が、ひと筋の渓に深く連なっているのだ。

【語註】「酬」:返歌・返書。「金部」:尚書省の中の部署(財政担当)。「郎中」:中堅官僚。「省中」:尚書省の内。

「見寄す・寄せらる」:見(ら)れる。受身。寄:郵便で送る。「見寄」:送られてきた。「森森」:繁茂のさま。「鶴侶」:尚書省の官吏、高潔な官吏の象徴。「玉人」:王郎中その人。「簿書」:仕事書類。「阮郎迷路」:桃源郷伝説(阮籍・阮咸〈竹林の七賢人・隠者〉系の逸話)を踏まえ、俗世を離れた理想郷の象徴。「万株紅樹一溪深」:桃花の渓谷、まさに本来帰るべき世界

 

友人である金部郎中(財務中堅官僚)の王さんへの返詩ということですが、王さんの贈詩は失われているとのことです。想像するに、王さんの詩はおそらく「特に、この麗かな春の日に感じてしまった…財務を扱う官僚事務仕事への疑問…」でもあったのでしょうか。そしてそれに共感した盧綸が「林(役所)から逃れて春風(憧れ)を逐う鶯(うぐいす・自分達)を彼ら自身になぞらえて、春の陽光あたる山には〈桃源郷〉が在る」と結んでいます。私はこの「鶯逐輕風不在林」という1句にエラク感動したのでした…。

 

看花到田面庵  良寛

桃花如霞夾岸発 春江若藍接天流

行看桃花随流去 故人家在水東頭

 

《花ヲ看テ田面庵(たのもあん)ニ到ル》

桃花霞ノ如ク岸ヲ夾(はさ)ンデ発キ、春江藍ノ若ク天ニ接シテ流ル。

行ク桃花ヲ看、流レニ随ヒテ去(ゆ)カバ、故人ノ家ハ水東ノ頭(ほとり)ニ在リ。

 

【良寛】(1758-1831)曹洞宗の僧侶・詩歌俳人・隠者。

【現代語訳】《花を看ていたら田面庵に到った》

桃の花が霞のように中ノ口(なかのぐち)川の両岸に咲き、春の川は藍のように青く空に接して流れている。歩きながら桃花を眺め、流れに沿って進むと、旧友の家は川の東のほとりにあった。

【語註】「田面庵・たのもあん」:現新潟市南区新飯田にある円通庵の別称、有願(うがん)居士の隠居所。「有願上人」:良寛の親友・〈苦思有願子/平生如狂癲・苦(しきり)ニ思フ、有願子。平素狂癲ノ如シ〉と良寛の詩にあるから、かなり個性的な人だったのでしょう。「故人」:旧友

【解説】この詩は、《三日尋李九荘》(三日、李九ノ荘ヲ尋ヌ』(常建・じょうけん〈生没年不詳〉唐の詩人)の本歌取り

雨歇楊林東渡頭 永和三日盪軽舟 故人家在桃花岸 直到門前渓水流

雨ハ歇(や)ム楊林東の渡シノ頭(ほとり)/永和三日(さんじつ)軽舟ヲ盪(うご)カス/故人ノ家ハ桃花ノ岸ニ在リ/直チニ到ラム門前渓氷ノ流レ。

 

盧綸の詩が切な過ぎる感があったので、のんびり系の詩を配置しました。私は中学生の頃、新潟市に住んでいました。東京の冬は雨も少なく晴れ上がって乾燥していますが、新潟は雪が止んでいても、いつも曇よりとした空でした。暖をとるのも儘ならない良寛の生活では、「冬」から「春」への移行はひと際、嬉しいものだったのでしょう。

 

良寛については、No.20「孫文のいた頃」の追記でも、漱石の関連で取り上げました。安永8年(177922歳の時、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺(上記の「円通庵」と関係があるのでしょうか…?)の国仙和尚(享保8年・1723‐寛政3年・1791)のもとで寛政2年(179033歳で印可を得るまで、12年間の厳しい修行をしたといいます。曹洞宗門ですから『正法眼蔵』を学んだのでしょうか…?良寛の漢詩の中に道元の語録である『永平広録』はしばしば登場しますが…。またどこかで触れたいと思います。

『武陵桃源図』春木南溟(はるきなんめい・寛政7年・1795 – 明治11年・1878年)明治4年・1871 東京国立博物館蔵

 

◆これまでの流れと復習

そもそもの発端は、No.39「孫文のいた頃」で取り上げた「国や文化によって異なる時間の概念」を知りたかったのでした。そして、勿論その背後には「日本とは何か?」という大テーマがあり、その一環として「日本の時間観」を探りたいと考えたのでした。そのため、古代ギリシア、キリスト教、古代中国の「時間概念」「歴史観」を比較検討してきました。

 

そこでぶつかった難関が「仏教の時間観」でした。「仏教時間観=無常観」くらいの認識の私でしたが、「仏教の時間観」とは即ち「華厳・唯識哲学の時間論・存在論」で、即ち「時間=存在=非連続」という大変な「哲学」でした。これについて202411月から1年以上(13回)をかけて、井筒俊彦の著書『コスモスとアンチコスモスー東洋哲学のために』(1989年・岩波書店)の読解勉強という形式で考えてきました。そしてその「仏教の時間観」とは井筒俊彦曰く「道元の時間哲学に窮極する(と私の考える)大乗仏教の時間論的思想」でした。

 

そして前回、遂にかの有名な『正法眼蔵』の『有時・うじ』の章についての考察が始まったのでした。即ち、「華厳・唯識哲学」や密教の「曼荼羅」はその予習であり、確かに、学生の頃、ただ素手で『有時』に立ち向かって、現代語訳や解説書を覗いてみても歯が立たなかったも無理はなかったと、今感じます。「事事無礙論」=「時時無礙論」だったからです。既出していますが再度下記に整理しておきます。

「事事無礙」:〈物〉と〈物〉の間に障礙が無い。

《この具体的な〈事〉(一輪の花、自分自身、海…等々)》と、《あの具体的な〈事〉(遠い星、他人、飛行機…等々)》が、互いに侵さず、妨げ合わず、一つ一つが、他のすべてを内包して成り立っている。他を欠けば、その一つは成立しない。全体が部分として現れ、部分が全体として働いている。

「時時無礙」:〈時間〉と〈時間〉の間に障礙が無い。事・存在=時間でした。全ての過去と全ての現在と全ての未来が「内包し合って」いる。

 

◆読書会:ー 井筒俊彦による道元の『正法眼蔵』「有時・うじ」の章を読む ー

さて、このコラムで『有時』を掘り下げて行っても、切りがなく、私がわかり易い「要約・解説」などできるはずもないので、以下の「読書会」参考資料形式でこの『有時』についての考察してみたいと思います。

 

引用はすべて井筒俊彦の『コスモスとアンチコスモス ー 東洋哲学のために』(岩波書店・1989年)に掲載の『創造不断―東洋的時間意識の元型』です。私なりに細かい章に分けて(順序等は一切変えていません)、それぞれの章にタイトルを付け整理してみました。

 

前回で「尽時・尽有」《有時》とは、一物一物の《有時》でありながら、しかも同時に、全存在世界の《有時》であるのだ。これを道元は、《尽時》《尽有》という。)までは話を進めたのですが、おそらく、通しで読んだほうが分かり易いかと思うので、重なる部分もあり、多少長くなりますが、以下、この「参考資料」を基に「読書会」に参加頂ければと思います。勿論「章タイトル」は私が付けたものですから、異論・ご意見様々あると思いますが、それも含めて、皆さんの参考になれば幸いです。

 

「▶」が章の要約的タイトル、太字は理解の助けです。以下の青字はすべて井筒俊彦の文章です。紫字が道元『有時』からの引用、濃い赤字は註です。

 

▶華厳・唯識哲学を基礎とした道元の「時間論」とその思想的独自性

道元の時間論といっても、前節で述べたところによって、その思想的根幹はすでに尽されているのであって、これからの主題は、むしろ、唯識と華厳の練り上げた時間についての、哲学的思想を、道元が、どういう角度から、どう表現していくか、という、主として道元的レトリックの問題となる。とはいえ、道元にはまた、道元ならではの思想的独自性がある。「正法眼蔵」「有時」の巻のテキストを読みながら、彼の時間論的思索の跡を辿ってみよう。

 

▶存在=時間

道元の時間論を読む上で、先ず何よりもさきに、注意しなければならないのは、存在と時間の同定である。もともと、仏教では、前にも言ったとおり、存在と時間の密接不離な関係が考えられていた。時間そのものは「無別体*」なのであって、ものと離れた時間はあり得ない、という。時間という抽象的枠組があって、その中で万物が生滅するとか、時間の流れの中にものが現象するとかいうふうには考えない。あくまで、さきに引用した『五教章」の言葉のごとく、「時は法(存在)と相離れず」なのである。

【無別体】別のものであることは無い。時無別体、依法而立。(時に別体無く、法(存在)によりて立つ)

 

時間と存在とが互いに絶対不可分であるという、この根本命題は、やがてもう一歩進んで、存在は時間であるという命題になる。ものがあるということは、時間であるということ。ある一つのもの(A)について、「Aが存在する」と言えるなら、当然、「Aが(Aとして)時する」とも言える。時間と存在のこの完全同定が、道元のいわゆる「有時」である。「有時」とは、前にも言ったように、「有」即「時」存在・即・時間、を意味する。

「いはゆる有時は、時すでに有なり。有はみな時なり」以下、引用はすべて「正法眼蔵」「有時」から)。(正法眼蔵からの引用文・術語は「紫」で表示)

 

存在が、一般的に、あるいは抽象的に、時間だというのではない。もっと具体的に、経験的世界で我々の逢着する「毎物毎事」そのどの一つを取っても、時である、というのだ。

 

「この尽界の頭頭物物(ずずもつもつ)を時時なりと覰見(しょけん)すべし。」

「しかあれば、松も時なり、竹も時なり。」

「要をとりていはば、尽界にあらゆる(尽界にある、の意)尽有は、つらなりながら時時なり。」

頭頭物物】全ての人々や物々等、覰見・しょけん】:覰=見る、

「山も時なり、海も時なり、時にあらざれば山海あるべからず。山海の而今(にこん or じこん)に時あらずとすべからず(今ここに、「現在」性のすべての重みをかけて現前している山海を見て、ただ山と海があると考えてはいけない。それらが、それぞれに時であることを忘れてはいけない)。時もし壊すれば山海も壊す。時もし不壊なれば山海も不壊なり。」

 

▶「ものが時する」…名詞(・もの)が躍動している。

万物の生成躍動する存在世界。それぞれのものが、それぞれに、そのもの本来のあり方を守りつつ(「法位に住して」)―松は松でありながら、竹は竹でありながら―あたかも波間に躍る魚のように生々と現成している。もの時するとはそのこと。それを「有時」というのだ。

「住法位の活鱍鱍地*(かっぱつはっち)なる、これ有時なり。」

註【活鱍鱍地】:極めて勢いのよいさま。気力がみちみちて活動してやまぬさま。

 

▶名詞(・もの)が躍動しているのは「事事・時時無礙」であるから。「松は松である。」=「松は同時に他のあらゆるものである。」更に「1本の松は全時空・全宇宙である。」

では、松は松であり、竹は竹であるというふうに、己れの「法位に住する」―すなわち、己れの存在論的位置を離れぬ-諸物が、なぜ、そのように「活鱍鱍地」であるのか。それは、それぞれのものが、上述の「事事無礙」=「時時無礙」の原理によって-「物物の相礙*(そうげ)せざるは、時時の相礙せざるがごとし」と道元は言っている-それぞれのものであることが、例えば松が松であることが、すなわち、同時にあらゆる他のものでもあることだからにほかならない。ただ一物の「有時」(存在・時間)のなかに、宇宙に拡がる一切の「有時」(存在・時間)の全エネルギーが凝集されている。

註【相礙】:物事の進行を妨げる状況や障害。

そうなると、我々自身、11人も「全宇宙」ということになります。いつもあげる「米粒」の例ですが、たった1粒のお米も「全宇宙の凝縮」であるなら、我々が「全宇宙の凝縮」であるのも当然であるような気はします。

 

「有時」は「全世界の有時」であり、それを「尽時」「尽有」とする。

「有時」とは、一物一物「有時」でありながら、しかも同時に、全存在世界の「有時」であるのだ。これを道元は、「尽時」「尽有」という。「尽時」「尽有」が、前に述べた非時間的 ”totum simul*” の時間的現成形態であることは、言うまでもない。そしてまた、その時間的現象形態こそ、まさに「創造不断*」でなければならない、ということも。「活鱍鱍地」という言葉には、おのずからにして「時々刻々」の脈動の響きがある。

▶註【totum simul・トータム・シムルラテン語が起源のフレーズで、「全てが同時に」の意味。井筒俊彦は頻用する。

「もともと『華厳経』は、仏陀が〈海印三昧〉(sāgara-mudrā-samādhi)といわれる特殊な三昧(観想意識)の深みから語り出したコトバの記録であると伝えられている。明らかに、この異常な比喩言語の底には一つの根源的直覚が働いている。『華厳経』の存在ヴィジョンの哲学といわれる華厳哲学は、この根源直覚を、万有の〈同時炳現〉という形で概念化する。

〈海印三味〉ー 波(日常的意識の生起、〈こころの乱れ〉ひとつなく静まりかえった(〈止観〉の止samathaの形象化)海面の茫洋たるひろがりにも譬えるべき観想者の心の鏡上に、森羅万象、一切の存在者が、ありのままに、一点のひずみもなく、姿を映し出す。存在世界のあらゆるものが、同時に、その真相(=深層)を露呈する。本論の第二部でもっと詳しく論述するつもりだが、まさにtotum simul(〈すべてが同時に〉)の境位、密教の胎蔵マンダラに具現する〈一切一挙〉万物の一挙開顕の観想的風光である。)」『コスモスとアンチコスモス』より

▶註【創造不断そもそもこの章のタイトルが『創造不断ー東洋的時間意識の元型』であり、井筒俊彦は、イスラーム哲学におけるイブヌ・ル・アラビーのこの《創造不断》という「時間・存在論」と道元のそれ、例えば《而今》(すべての時間単位が相即相入する一瞬・一切のものがそこで相即相入的に成立する無辺際の存在空間)が極めて近い考え方であることを論じているのが、この章のテーマ。

以下井筒俊彦による説明。「《創造不断》とは…英語に訳せば perpetual creation とでもいうところかーはもともとイスラムの哲学者イブヌ・ル・アラビーの存在論体系の基本術語の一つ」「《創造不断》とは…〈時々刻々〉の新創造。この表現は、それ自体のうちに、時間論と存在論との二側面を合わせもっている。〈時々刻々〉が、その時間論的側面であることは明瞭であろう。その点だけは明瞭だが、しかし、それが哲学的に含意するところは必ずしも明らかではない。先ず、時間の直線的連続性の否定なのである。外界の事物、いわゆる外的世界、とは本性的にはなんの関わりもなく、一様に流れる〈絶対時間〉(ニュートン)、どこにも途切れのない恒常的連続体としての時間を否定して、途切れ途切れの、独立した「前後際断」時間単位、刹那、の連鎖こそ時間の真相であると、この考え方は主張する。要するに、時間は、その真相において、ひとつ一つが前後から切り離されて独立した無数の瞬間の断続、つまり非連続の連続である、というのだ。しかし、それだけではない。この種の哲学的思惟元型においては、時は有(存在)と密接不離の関係にあり、窮極的には時は有と完全に同定される-道元のいわゆる〈有時・うじ〉存在・即・時間。従って、時の念々起滅は、同時に、有の念々起滅でもある。時間と存在とのこの不二性については、後に詳説するところがあるので、これ以上ここでは言わないことにするが、とにかく、さきに挙げた「時々刻々の新創造」という表現の最後の一語、「新創造」、がそれの存在論的側面であることは言うまでもない。要するに、〈時々刻々の新創造〉とは、時々刻々の新しい世界現出ということ。つまり、時の念々起滅とともに有の念々起滅が現成し、刻々に新しい存在世界が、いつも、新しく始まる、始まっては終り、終ってはまた新しく始まっていく、というのである。」

 

而今(にこん or じこん)=全宇宙を内蔵している今、そしてそれは「永遠の今」

「尽時」。刻々の時が、刻々に全時を尽す(「十世隔法異成」)。時時無礙的に重々無尽の多層構造をうちに秘めた「現在」(「而今」)が、一瞬一瞬の有無転換を刻みながら遷流して、その度ごとに時の全体を包んで「永遠の今」(nunc aeternum*)である。

▶註【nunc aeternumラテン語(ヌンク:今、アエテルヌム:永遠)アウグスティヌス(Augustinus・354 – 430年)の言葉。西ローマ帝国時代のカトリック教会の司教・神学者。《永い過去などと言うけれど、過去ったものを「永い」などと言いうるはずはない。これは未来についても同じである。時間の永さなどは、どうしても考えられない。だから、未来というのは「期待」(expectatio)を、過去というのは「記憶」を言っているにすぎない。期待し、記憶しているのは、現在のこの私なのだから、過去というのは、過去の現在であり、未来というのは未来の現在である。つまり、在るのは「現在」(praesens)のみ。このように、時間を計っているのは、私の心の中でのことであるにすぎない。在るのはただ現在というこの時間だけである。しかも在るところの現在、それが永遠なのである。》樫山欽四郎(明治40年・1907 – 昭和52年・1977)『哲学概説』(アウグスティヌスの時間論)より・昭和39年・1964創文社

 

そして、「現在」の一念が、時のすべてを尽すということは、当然、それが有(存在)のすべてを尽すということでもある。「尽時」「尽有」。道元の華厳的時間意識は「現在」の一念に存在と時間のすべてを収斂させる。すべての時間単位が相即相入するこの一瞬、それはまた、一切のものがそこで相即相入的に成立する無辺際の存在空間でもあった。「此一念中具万法」(此の一念中に万法を具す)。存在空間としての「現在」は、華厳的イマージュに移して言えば、空に舞う一塵の中に全宇宙が舞い、一花開いて世界開く場所なのである。

【此の一念に万法を具す】:この〈今〉という一念の成立そのもののうちに、存在が存在として現れるための全条件・全関係・全相が、余すところなく同時に具現している。(『正法眼蔵』ではなく、天台宗系の言葉)

 

11本の草が全宇宙である。なぜなら「事事・時時無礙」であるから。

道元は言う。限りなく拡がるこの大地の全体(「尽地」)、見渡せば無数の草が生えている、無数のものの姿がそこにある。だが、と道元は続ける。このような存在認知に停ってしまってはいけない。この認知をもう一歩進めて逆転させ、一本一本の草が、全大地を占めていることを覚知しなければならない。一つひとつのものが、それぞれ全宇宙であることを知らなければならない、と

 

「尽地に万象百草あり。一草一象おのおの尽地にあることを参学すべし…正当恁麼(いんも)時のみなるがゆへに(時とはまさに、今言ったような意味での時であり、それ以外の何ものでもないのであるから)、有時みな尽時なり。有草有象ともに時なり。時時の時に尽有尽界あるなり。」

「ねずみも時なり。とらも時なり。生も時なり。仏も時なり。…

すなはち有(う)なり、時(じ)なり。尽時を尽有と究尽(ぐうじん)するのみ。さらに剰法*なし。」

註【恁麼・いんも】:このように。(中国宋時代の俗語。禅宗と共に伝わり、禅僧の間で頻用された。剰法・じょうほう】:余ったもの。

 

▶「現在・今」=「而今」の定義:全時空(宇宙)を感知する「今」

「一時究尽」いまというこの一瞬に、時間空間のすべてを究めつくす。「究尽」とは、何か一つの対象を底の底まで究めつくすというようなことではない。すべてを挙げてすべてを尽しきることだ。「究尽といふは、尽界をもて尽界を界尽するを究尽といふなり」と道元が言っているように。時の全体を尽し「尽時」、存在世界の全体を尽し「尽界」、一切を徹底的に尽しきって、そこに現成する「現在」。それが道元のいわゆる「有時の而今・にこん」である。

 

経歴(きょうりゃく):「尽・有時」的に生起する「而今」の非連続の動き、そして「有時」(存在と時間)の可逆性!

こうして「尽時」「尽有」的に現成する「而今」の相続、継起を、道元は「経歴・きょうりゃく」という特殊な術語で指示する。流れる水、空を飛ぶ矢のように、一方向的に、不可逆的に、そして無間断的に連続する一本の直線として時間なるものを表象する常識的な見方(「凡夫の見解・けんげ」「未証拠者」)の時間観から、真の観想的時間意識を区別するために、こんな耳慣れぬ言葉を使うのだ。だが、我々は、今、「経歴」がどのような事態を意味するかをほぼ正確に察知することができる。要するにtotum simul(トータム・シムル)時間的「一挙開顕」が、一瞬一瞬の「尽時」「尽有」的フィールドの相続として時間的に展開していく形である。「尽時」「尽有」的である故に、そして一瞬一瞬が前後際断的である故に、「現在」から「現在」へのこのつらなりには、先後関係はあっても「薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり、前後ありといえども、前後際断せり」ー(さきに引用した「現成公案」の一節)、そこに不可逆性という制限はない。

 

「経歴・きょうりゃく」は、少なくとも用法として道元の造語のようです。井筒俊彦は「〈一挙開顕〉が、一瞬一瞬の「尽時」「尽有」的フィールドの相続として時間的に展開していく形である。」と定義していますが、よくわからないですね。しかも時間の可逆性…もう少し先を読んでみましょう。

 

▶存在と時間の「経歴・きょうりゃく」:存在と時間は〈ただ飛び去るもの…〉ではない。

「有時に経歴の功徳あり(有時は、本性的に、経歴するという性質をもっている。経歴しないということはあり得ない)いはゆる、今日より明日に経歴す。今日より昨日に経歴す。昨日より今日に経歴す。今日より今日に経歴す。明日より明日に経歴す。」

 

時は「飛去する」ものだと、普通、人は思いこんでいる。東から西に向って吹き渡る風のごときものとのみ考えている。だから時の「経歴」性ということがわからないのだ。だが、「経歴」がわからなければ、「有時」がどういうものかもわからないのである。

 

「時は飛去するとのみ解会(げえ)すべからず。飛去は時の能とのみは学すべからず(飛び去ることだけが時の作用だと理解してはならない)。時もし飛去に一任せば、間隙(かんげき)ありぬべし(時がもし飛び去ることだけしかしないのだとすれば、時だけ先に飛び去ってしまって、後に残されたものとのあいだに隙間が出来るというような妙なことにもなりかねないだろう ー 道元独特のイロニー)

有時の道(どう)有時という言葉)を経聞せざるは(深い意味を理解できないのは)、すぎぬるとのみ学するによりてなり。」

「経歴といふは、風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず、経歴なり存在世界がまったく動かない、というのではない。たしかに動いてはいる。ただ、その動きは経歴としての動きなのである

 

この不思議な「経歴」という概念?について少し考えてみたいと思います。この造語「経歴」は、結論から言えば、そもそも「時間の働き」のことのようです。漢字の本来の意味は下記です。以下、他の解説書、またAI等も使用して考えてみました。

 

経:たて(経)糸・貫く・経(へ)る・治める(経営・経国)

歴:ある地点・時点・立場などを順次に通っていく・踏み越える・重なる・

 

これを「経歴す」と動詞として使っています。

「今日より明日に経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日に経歴す、今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。」

動いているのは「私」ではなく、今日・昨日・明日そのものになります。そして、ここで、時間の「可逆性」が出現します。「それぞれの時が、他の時を《内包・相即相入*》して成立している。」と考えると何とか理解できそうではあるのですが…。

・今日より明日に経歴す:今日は、明日を内包している。

・今日より昨日に経歴す:今日は、昨日を内包している。

・昨日より今日に経歴す:昨日は、今日を内包されている。

・今日より今日に経歴す:今日は、今日を内包している。

・明日より明日に経歴す:明日は、明日を内包している。

ということは「時間は流れていない。常に互いを内包しながら《ある》。」そして「自分」はその動きの全てという事なのでしょうか…?

▶註【相即相入・そうそくそうにゅう】:

相即:互いに即する  →AはAとして成り立ちながら、同時にBそのものである。

相入:互いに入り込む →Aの中にBが入り、Bの中にAが入り込む。

一即一切(ひとつはすべて)、一切即一(すべてはひとつ):いつも例にあげている〈米粒は宇宙、宇宙は米粒〉に集約されます。この場合〈相即相入〉は〈世界の構造〉の説明であり、下記で学習した〈事事無礙〉は〈世界の動き〉の説明と言えるでしょう。」(「No.53 孫文のいた頃」

 

▶生滅流転は経験界の真相

我々の経験する存在世界が、不動転であるとは、道元は言わない。永遠不動どころか、反対に生滅流転こそ経験界の真相である。あらゆるものが遷流(せんる)して一瞬も止むことのない世界。ものが遷流するとは、時が遷流するということである。

 

▶「飛び去る」と「飛び去らない」の矛盾

「時は飛去するとのみ-すぎぬるとのみ-解会すべからず」と道元は言う。飛去する、過ぎる、とだけ考えてはならない、というのである。飛去し、過ぎていく面も時にはあるのだ。飛去する面(「去来の相」もある。だが、飛去しない面もある「無去来の相」)。現象的時間のこの根源的矛盾性を、「経歴」という言葉が鋭く捉える。

 

「尽」(〈宇宙〉の〈〉)は「一切の動きの否定」しかし「有時」は不断に動く

「経歴」は、「有時」の時々刻々の「尽時」「尽有」的現成である。「尽時」「尽有」は一切の動きを否定する。だが、時と有とは、それが不断の動であることを告げる。この一見奇妙な事態を、我々はどう理解すべきであろうか。

 

有時(存在・時間の正体)は「万物一挙開顕という関連性」であり、そこに時間は無い

もともと、「有時」観念の成立の根源となったものは、前に述べたように、華厳的海印三昧によって観想される万物「同時炳現」の境位だった。万物一挙開顕(totum simul・トータム・シムル)の非時間的マンダラ空間。そこでは、すべてのものが、「空」(真空妙有)を中心点として、そのまわりに、中心から等距離に、完全に顕在化したあり方で、拡がっていた。過去・現在・未来の区別(「三世」「十世」)はここにはない。あらゆるものが、あますところなく現勢化しきった形で露現しているこの形而上的空間の中では、すべてが不動であり、従って無時制的である。日付けをもったものはひとつもないのだ。

とはいえ、時間が完全に無化されてしまったわけではない。時(時間エネルギー)は、たしかに、そこにある。だが、それの流れは停止している。万物一挙開顕のところでは、時の流れる場所はない。まさに時間の、非時間的フィールド、あるいは非時間性のマンダラである。

 

▶経験意識での「時間の飛去

しかし、非時間は、本性上、時間に転成する。存在の非時間的秩序は、必然的に存在の経験的次元に移って、時間的秩序に展開する。すべてのものが動きだす。その動きの一つひとつに日付けがある。時は「飛去する」という考えがそこから出てくる。例えば、私はあるものAを、ずっと以前に見た。昨日、私は別のものBを見た。そして、現に、今、私はCを見ている。私の経験的意識にとって、Cだけが現実に存在している。過去の日付けをもつAやBは、もはや現存していない。時の流れに運ばれて、無の闇に消えてしまったからである。

 

経験意識での「時間の飛去」は「時間の不飛去」を見逃している

このような考え方は、時の「飛去」的側面を捉えてはいるが、その「飛去」的側面を完全に見のがしている。道元は言う。昨日、私は阿修羅だった(悟りを得ようとして阿修羅のごとく努力していた)。その私が今日は、めでたく悟りをひらいて仏となった。阿修羅であった状態には昨日の日付け、仏である今の状態には今日の日付けがついている。阿修羅であった私は、もう存在していない。今は私は仏。昨日という時の私と、今日という時の私とは、全然、別ものだ。と、こんなふうに、普通、人は考える。だが、それでいいのだろうか。

 

▶「非時間」の比喩(最高峰の山頂からの他の山々の眺め)-過去の自分も今の自分!

「三頭八臂(頭が三つ、腕が八つの阿修羅)は、きのふの時なり。丈六八尺(立てば一丈六尺、坐れば八尺の仏身)は、けふの時なり。しかあれども、その昨今の道理(昨日・今日という日付けの符牒の指示する事の真相は)、ただこれ、山のなかに直入(じきにゅう)して(重畳たる山岳地帯に踏み入って、最高峰の絶頂に立ち)、千峰万峰をみわたす時節なり(すべての山々を一望の下に鳥瞰するときに実現する事態)。

すぎぬるにあらず昨日が過ぎ去ってしまったわけではない)。三頭八臂も、すなはち、わが有時にて一経いっきょう・ひと齣(阿修羅であることも、実は、わが有時の尽時尽有的経歴のひと齣なのである。従って、)彼方(かなた)にあるににたれども而今なり。丈六八尺も、すなはち、わが有時にて一経す。彼処(かしこ)にあるににたれども而今なり。

 

高々たる山頂に立って、千峰万峰を足下に見はるかす人。山と山とのあいだに時間的先後はない。この山頂に辿りつくまでの日々、昨日はあの山を越えた、今日はこの山を越えている。昨日の山は先、今日の山は後。しかし、ひときわ高く聳え立つ山の頂から全景を鳥瞰するこの人にとっては、山々の日付けはなくなっている。あともさきもない。すべての山が彼からー彼(かなた・かしこ)「我・われ」からー等距離にある。時間的「同時開題」の茫洋たる空間だ。

 

「有時」:根源的には「非時間」であるが、それが経験的次元において「時間展開」する

道元の説く「有時」にも、まさにこういう二面がある、「飛去」的側面と、不「飛去」的側面と。互いに矛盾するこの二面を一に合わせたところに、「有時」「経歴」を道元は見る。根源的非時間マンダラの、経験的存在次元における時間的展開としての、それが「有時」のあり方なのである。

 

▶「根源的非時間」の中心は「空」、それが現象展開する中心は「我・われ」

根源的時間マンダラが、そのすべてを挙げて、刻々に時間フィールドとして、現成していく。根源的時間マンダラの中心点は「空」だった。これにたいして、時間マンダラの現象的展開形態としての時間フィールドの中心点は「我・われ」

 

「空」「我・われ」は同じ

これら二つの中心点相互のあいだには緊密な照応関係がある。と言うより、二つは、それぞれの機能次元を異にするだけで、本源的には一つのものである。時間的マンダラの中心点が、そのまま時間的展開の次元において、「我・われ」として働くのだ。さきの引用文の中で、道元が、わが有時」という表現を使っていることに、深い意味を読みとらなくてはならない。

 

「有時」「経歴」の中心にある「我・われ」

「有時」「経歴」の中心に、「我・われ」を置く。ここに至って、道元の「創造不断」的時間論は、思想的独創性の深みを窮めるのである。

この「我・われ」がどういうわれであるのか、については、古来、註釈者のあいだに諸説がある。大我、宇宙的われ、「本来の面目」のことだと言う人もあれば、経験的意識主体としての個我であると言う人もある。だが、実は、それほど問題にする必要のないことなのではあるまいか、と私は思う。

 

▶「生滅流転」の「我・われ」「空」である「我・われ」は同じという認識

もし「有時」が、上来説明してきたような内的構造をもつものであるならば、その「有時」を刻々に「経歴」せしめる中心軸としての「我・われ」は、生滅流転の世界に生きる経験的、現象的主体でなければならないと同時に、また、万象「同時炳現」の非時間マンダラを、寂然不動の相において観察する形而上的主体でもなければならない。心真如門」と「心生滅門」との相矛盾する二面を一にする「大乗起信論」の「一心」*のように。もともと、我々の経験的世界 ― 時間が時間として成立する存在次元 ― は、生滅遷流の世界であるとともに、不変不動の真如の世界でもあるのだ。このような世界の主体的中心、「我・われ」、は、当然、互いに矛盾するこれら二面を具えた「我・われ」でなければならない。そのような「我・われ」であってこそ、非時間的存在マンダラを、刻々に「有時」のつらなりとして展開していくことができるのである。

 

▶註:【「心真如門」と「心生滅門」との相矛盾する二面を一にする「大乗起信論」の「一心」】

さて、またサラッと知らない術語の比喩がでてきてしまいました。仏教哲学は突っ込むと果てしなく広く深いのですが、一応、井筒俊彦の文脈理解の範囲で調べてみました。なるべく簡潔に説明したいと思います。

「大乗起信論」:6世紀頃に中国で成立。大乗仏教の根本思想を、「一心」という概念を軸に体系化し、衆生に大乗への信(起信)を起こさせるための論書。きちんと体系化されていて華厳・天台・禅にまで長く影響したと言います。

「相矛盾する二面を一にする」:

「心〈真如〉門」:「心」は「真如-絶対・不生不滅」

「心〈生滅〉門」:「心」は「生滅-迷いと悟り・現象世界」

「一心」: 両者は対立せず、同一の「一つの心」の2側面と説明する。

即ち、「もともと、我々の経験的世界 ― 時間が時間として成立する存在次元 ― は、生滅遷流の世界であるとともに、不変不動の真如の世界でもあるのだ。」

 

▶「生滅流転のみの認識」の誤謬についての指摘

さきに引いた一文の中で、道元は、深い山岳地帯に踏みこんだ旅人について語っていた。遥かに遠い玉殿を目指しつつ、幾山河を越えて彼は行く。身を阿修羅(「三頭八臂」)となし、長い惨苦の時を経て、ついに彼は目指すところに着く。「河をすぎ、山をすぎ」たのは、もう遠い昔のこと。今では彼は玉殿朱楼に坐している、今や自分は生きながら仏(「丈六八尺」)の身になったのだ、と歓喜しながら。

 

▶道元の術語「有時」における「内的解釈」

だが、彼は、結局、凡俗の人。本当の仏教の哲理は、彼にはわかっていない。だから「有時」という語を見ても、うじとは彼は読まない。あるときとだけ読む。つまり、彼の経験するすべてのことには、一つひとつ、日付けが入っているのだ。日付けなしの、あとさきなしの、時間、「有時・うじ」は彼の理解を超えている。ちなみに、「有時」をうじと読み、あるときとは全然違う意味に理解するのは、道元の内的解釈」*(第一部参照)である。このような「内的解釈」を、道元は至るところで行っている。

 

▶註:【「内的解釈」について】

「内的解釈」については肝心な個所でもあるので説明が必要ですね。それにはちょっと面倒なのですが…いや既にかなり面倒ですが、No.46「孫文のいた頃」で少しふれたイスラーム思想の「スーフィズム」から始めなければなりません。以下No.46「孫文のいた頃」からの復習です。

 

*スーフィズム(英: Sufism):イスラーム教の神秘主義哲学。アラビア語ではタサウウフと呼ばれるが、一般的に担い手であるスーフィーに英語のイズムをつけたもの。9世紀以降に生じた、イスラーム教の世俗化・形式化を批判する改革運動であり、修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一を究極的な目標とする。(イスラーム神秘主義という呼称が使われているが、スーフィー達が「神秘」を特に掲げているわけではない。)

*イブヌ・ル・アラビー(イブン・アラビー・1165-1240):セビリア王国の支配下にあったアンダルシアでアラブ系の名門に生まれる。中世のイスラーム思想家。イスラーム神秘主義(スーフィズム)の確立に寄与、後世に多大な影響を与えた。-Wikipedia

 

上記のWikipedia的説明ではピンとこないかと思いますので、井筒俊彦の「スーフィズムにおける内的解釈」についての解説をあげておきます。結論としては「スーフィズム」とはオーソドックスな『コーラン』の読み方(外的解釈)ではなく独特の読み方(内的解釈)により別の意味を読みとるイスラーム教の(人呼んで)神秘主義哲学であるようです。

 

ひたすらコトバの流れのリズムに乗っていくこと、それがスーフィーにとって、聖典『コーラン』の観想意識的〈読み〉なのである。スーフィーたちの、この特殊な聖典念誦の慣行は、歴史的に、一種独特な聖典解釈学を、彼らのあいだに発展させた。それを世に、聖典の〈内的解釈学〉(ta’wil bātinī)という。〈内的解釈学〉は言うまでもなく、「外的解釈学」(ta’wilzāhirī)に対立する。」

 

「聖典のコトバの流れのリズムに、己れの内的生命のリズムを合わせながら、スーフィーは『コーラン』を読み続ける。次第に『コーラン』の魂ともいうべき神的啓示の息吹きが彼の〈魂〉の中に染みこんでいく。元来、アラビア語では〈魂〉(nafs・ナフス)は〈息吹き〉(nafas・ナフアス)と、密接な意味論的つながりをもつ。本来的に〈気息〉的である〈魂〉、すなわち観想者の内的状態が、神の〈気息〉と合致して変質していくのだ。そして、彼の内的状態が変質するにつれて、今度は逆に、『コーラン』のコトバ自体が内的に変質していく。『コーラン』は、普通の信者の読む『コーラン』とは似ても似つかないものになってしまう。文の切れ目、句読点、まで違ってくる。一々の語が、まるで違った意味を帯びる。スーフィー自身の主観的立場から見ると、これは、『コーラン』の文や語が、表面には全く現われていない深い意味を露呈し始めるということだ。

このような境位で神のコトバの意味を捉えることを、『コーラン』の〈内的解釈〉という。〈外的解釈〉を唯一の正しい オーソドツクス解釈とする正統派の信者から見ると、スーフィーたちの〈内的解釈〉は、原則的に、『コーラン』のコトバの意味の歪曲であり、神にたいする恐るべき冒瀆ですらある。〈内的解釈〉と〈外的解釈〉との間の、この対立は、しばしば、宗教政治的に尖鋭化して、イスラームの歴史を血で染めた。〈内的解釈〉の奉持者はスーフィーたちとイラン系シーア派、〈外的解釈〉の奉持者は主としてアラブ系正統派。

 

道元の術語「有時」における「外的解釈・あるとき」と「内的解釈・うじ」の具体例

「しかあるを、仏法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解(仏法の説く真理の意味を理 解していない凡俗人の境位に特有の見方では)、有時のことばをきくにおもはく、あるとき〈有時〉は三頭八臂となれりき。あるとき〈有時〉は丈六八尺となれりき。たとへば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなり、と。

いまは、その山河あるらめども(自分が越えて来たあの山や河は、いまでも、どこかに有るだろうけれども)われすぎきたりて、いまは玉殿朱楼に処せり。

山河とわれと、天と地なり(山河と今の自分とのあいだには天と地のあいだほどの距りがある)とおもふ。」

何やらこの「内的・外的解釈」…Joke(冗句)のようにも感じてしまいますが…、広くイスラームまで「東洋」と考えている井筒俊彦としては、この道元の語法からも、スーフィズムを連想してしまうのでしょう。

 

▶「生滅流転・去来のわれ」と「・無去来のわれ」は同じ

しかし、と道元は言う、これが時間に関する唯一の正しい考え方なのではない。たしかに、時間には、こういう去来の相もある。が、それよりずっと大事なのは、去来の相に加えて、時間に無去来の相がある、ということだ。去来を無去来につなぐところ、言い換えれば、去来を無去来に転換させるところ、に「我・われ」がある。刻々に「現在」(重々無尽の「有時の而今」)として現成していく「我・われ」を通じて、去来する時は去来を止める。

 

「我・われ」がある以上、過去と現在とのあいだに時の飛去はあり得ない

「しかあれども、道理この一条のみ去来的、「飛去」的事実だけ)にあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりしわれありき。われあるべしわれの現成はの現成。)「我・われ」すでにあり。さるべからず。「我・われ」が厳然として機能している以上、過去と現在とのあいだに時の飛去はあり得ない)

 

「我・われ」「有」であり「」:「有時」=「わが有時

「我・われ」「有時」的時間フィールドの中心であり枢軸であることは、すでに述べた。「われに有時の而今ある、これ有時なり。」「有時」は、本来、「わが有時」だったのである。こういう意味で、「我・われ」は時であり、有である。とすれば、全存在世界(「尽界」を満たす限りない事々物々の森羅たる姿は、「我・われ」のつらなりにほかならない、と言えよう。時時のつらなりとも言えよう。

 

▶華厳的「事事・時時無礙」から観相した「われ」は「全宇宙」と等しい

われ排列*しおきて尽界とせり、この尽界の頭頭物物を時時なりと観見すべし。…

われ排列*して、われこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとしすべてのものが根源的主体性としての自己(われ)の時であるということの意味は、まさにかくのごときものなのである。)

「要をとりていはば、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて、吾有時(ごうじ)(我=存在=時間)なり。」

▶【註】排列:先の「経歴」の解釈としての「内包・相即相入」を連想します。それと近い意味でしょうか…

 

▶自分の尽力(挙体全動的働き)により宇宙と一体化する

「吾有時」というこのきわめて特殊な表現は、「吾・有・時」、すなわち「我・われ」と存在と時間との相互同定性を意味するだけではない。それは、また、「吾・有時」(わが有時)でもある。言い換えれば、「有時」「経歴」が、「吾」を中心軸として展開するものであることをも、それは意味する。道元はこれをわが尽力・じんりきと呼ぶ。「我・われ」(すなわち「起信論」のいわゆる「一心」が挙体全動して、はじめて存在世界が時間的展開軸の上に生起するということだ。すべてのもの「有時」存在・即・時間)は、「我・われ」「尽力」(挙体全動的働き)によって現成する、というのである。

 

▶全宇宙は「われ」(自分=全存在エネルギーの擬集点)により成立している

「およそ羅籠(らろう)とどまらず、有時現成なり(どんなに綿密にあみを張りめぐらし、かごを置きつらねても、有時の現成を捉えて止めることはできない。「我・われの働きによって、ひとりでに、あらゆる事物が現われてくる)。いま右界に現成し、左方に現成する天王天衆、いまわが尽力する有時なり。その余外にある水陸の衆有時(水陸のあらゆるもの)、これわがいま尽力して現成するなり。冥陽(可視界、不可視界)に有時なる(有時として現成している)諸類諸頭、みなわが尽力現成なり。尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、経歴することなし、と参学すべし。

一切「同時炳現」的マンダラが、「尽時尽有」の重みをになう「現在」(「有時の而今」)として刻一刻、現成していく。非時間的マンダラから時間的フィールドの念々相続への、この転換線上に、「我・われがある。前にも一言したように、不生不滅と生滅流転とを内に含みつつ、相矛盾するこれらの二面を一に合わせる主体性、「我・われ」こそ、この転換を可能にする全存在エネルギーの擬集点である。道元のいわゆる「わが尽力」とは、まさに、このことを言ったものであろう、と私は理解する。

 

「わが尽力」に先後関係はなく、時間は無去来相

道元の語る旅人は、かつて山々を登り谷を越えた(「上山渡河の。今、彼は玉殿朱楼の中にいる「玉殿朱楼の)。二つの時のあいだには先後配列がある。ということは、すなわち、時間が、ここでは、去来の相において意識されているということにほかならない。だが、と道元は言うのだ、「山をのぼり河をわたりし時にわれありき。」山を登り河を渡ることも、「わが尽力」だった。玉殿に今いることも、また「わが尽力」である。ともに「尽時」「尽有」「わが尽力」である点において、上山渡河玉殿朱楼も、時間フィールドの中心からまったく等距離にある。先後関係はそこにはない。時間は、無去来の相において意識されている。

去来の相と無去来の相。形而上的「同時炳現」の根源的時間性を、現象的時間性の鏡に映すことによって現成する時間フィールドの相続であればこそ、「有時」には去来、無去来の二つの相があるのだ。

 

「有時」の二重性(去来・無去来)を実現するのが「われ」

「かの上山渡河の、この玉殿朱楼のを呑却(どんきゃく)せざらんや、吐却(ときゃく)せざらんや。」

「上山渡河の「玉殿朱楼のを呑みこんでしまう境位、そこでは二つのは一つのである(「無去来」)。だが、「上山渡河の時」「玉殿朱楼の時」を吐き出す境位では、二つのは、あい前後する別々の二つの時(「去来」)。「有時」は、その内的構造において、常に、こういう二重性をもつ。そして「有時」をこのような二重性において実現させるもの、それが「我・われ」なのである。こうして、道元の構想する時間論は、「我・われ」を機能先端として、刻々に新しく現成していく「有時の而今」「尽時・尽有」的に重々無尽であるいま)の相続に窮極する。

 

さて、これで《読書会:ー 井筒俊彦による道元の『正法眼蔵』「有時・うじ」の章を読むとりあえず終了です。私としては6~7割くらいは理解できたような気がしますが…ただ、「事事無礙・時時無礙」、存在と時間の「相即相入」…結果、宇宙と自分が同一である…という考え方は、私には多分体質的に合っているのだろうと思います。みなさんはどうだったでしょうか…?

 

以上

2025年1

 

追記 この道や 行くひとなしに 秋の暮 -芭蕉

さて、『正法眼蔵』「有時」の章を、ともかくも無理やり終わらせたような観はありますが、いくらかは参考になったでしょうか?

 

そして以下は、このコラムで皆さんと一緒に読み進めてきた井筒俊彦の「この章」(上記)《創造不断―東洋的時間意識の元型》(なお「イスラーム的時間論比較」についてはかなり省略しましたが)その「結び」の部分です。

 

それにしても私は つまり、皆さんにお伝えするために 日本哲学史上、難解をもって鳴る『正法眼蔵』「有時(うじ)」の理解、即ち「仏教的、日本的時間観」の理解を目指し、その内容と格闘しつつ、そしてあまりにも「仏教予備知識」の欠落ゆえに、実に1年以上を費やして、トボトボと読み続けてきたのでした。

 

そして思い起こされたのが、下記の井筒俊彦の文章を読んだとき、日本と世界の未来を案じてか、今回の追記のタイトルにした松尾芭蕉(寛永21年・1644ー元禄7年・1694)の一句「この道や 行くひとなしに 秋の暮」でした。芭蕉50歳、彼の最後の句会で詠まれた句です。

 

「〈創造不断〉を東洋的時間意識の一元型として措定することから、私は本論の主題を逐い始めた。第一部、第二部を通じて叙述をここまで進めて来た今、ひるがえって考えると、この東洋的時間意識の元型の仏教哲学的現象態としての道元の〈有時〉論が、第一部で述べた同じ元型のもう一つの現象態、イブヌ・ル・アラビーのイスラーム的時間論と、肯定的・否定的に著しい対比を示すことを我々は見る。同一の元型が、違う二つの思想文化の伝統の流れの中で取る二つの現象態。両者のあいだに認められる差違と類似が、時間なるものの本性について、そしてまた、より一般に、文化なるものの普遍性・個別性について、限りない思索と探求に私の心を誘う。

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス ー 東洋哲学のために』(岩波書店・1989年)

初出〈創造不断東洋的時間意識の元型〉『思想』198634月号

 

実にちょうど40年前に発表された論文ですね。しかし一体…いかなる学者がこんな思索を「継承できる」のでしょうか…そして私としては、この句から、必然的に…飛躍的に…、学生時代に読んだ次の一節を連想せずにはいられなかったのでした。

 

「芭蕉死して、俳諧の連歌の道は次第にほそくなり、やがて絕えて、今日では跡方もない。あつさりしたものである。連歌が亡びれば、發句もともに失せるはずだが、その代りに、俳句といふものがあらはれて今日大繁昌である。この獨立の珍詩形については、後段に述べよう。「この道や行く人なしに」とは芭蕉の的中した豫言であつた。當時すでに芭蕉の生活を生活しようとするものはゐなかつたのであらう。」

石川淳『俳諧初心』(昭和15年・1940頃)初出誌不明

『文学大概』・小學館(昭和179月・1942)収録

いやはや…。

 

左:芭蕉の墓のある義仲寺(ぎちゅうじ・京都府大津市)右:芭蕉の墓 20257月 筆者撮影

 

芭蕉は木曽義仲の傍に葬られたい、と弟子たちに遺言したといいます。何故、義仲を好きだったかという疑問が当然湧いてきて、大変興味深いテーマなのですが、ここでは控えます。『奥の細道』には収録されていませんが、その旅の途中、越前(現在の福井県南越前町・今庄あたり)の燧(ひうち)山のほとりで詠んだという句が残されています。

義仲の 寝覚めの山か 月可(か)なし

 

まあ…私としては、石川淳の俳諧・連歌における「芭蕉」評と「井筒俊彦」の学者としての研究方向性を並列してみたわけです…

 

昨今の世界情勢において、井筒俊彦の語る「遥けくも遠い〈文化〉を繋ぐ《意識の元型》の共有」その「研究」等は、ある種、「国際交流」が学ぶべきことであると思います。まして、近隣諸国…同じ漢字文化圏の中国、韓国…仲良くなれる「機」はあるはずだと思うのですが…。

 

No.54 誰知東帝回春處の「孫文のいた頃」をみるlist-type-white