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国際交流・留学にすぐには役立ちそうにない教養講座60


ー世界に「日本が存在していてよかった」と思ってもらえる日本に…


国際交流・留学にすぐには役立ちそうにない教養講座

 

No. 60 牧童騎黃牛の「孫文のいた頃」

 

所見   袁枚

牧童騎黃牛 歌聲振林樾

忽然閉口立 意欲捕鳴蟬

 

所見

牧童黄牛ニ騎(の)リ ソノ歌声林樾(木陰)ニ響ク

忽然ト口ヲ閉ジテ立チ 鳴ク蝉ヲ捕ラント欲ス

【袁枚・えんばい1716‐1798 清朝期の文人、官僚。杭州府銭塘県(現・杭州市)出身。乾隆年間、22歳で進士、県令の任につくが、地方・田舎まわりの生活に嫌気がさしたのか32歳の時に官を辞し、そののちは生涯職に就かず、江寧(金陵=現・南京附近)小倉山の『隨園』(邸宅・24の建物から成っていたという。)に隠棲、82歳の長寿を全うする。

【語註】「林樾・りんえつ」:林の陰。「樾」は木の陰、並木、街路樹。「忽然・こつぜん」:急な出現や消失。

 

最近頻出の袁枚で、季節柄、夏の五言絶句です。有名な詩のようですが、一読(見)、だから何?という、大意訳も不要な程の単純な印象の詩です。しかし諧謔の詩人・袁枚がそんな単純な詩を作るはずはない、と少し考えてみました。そもそもタイトルの『所見』、現代日本語でも使用しますが、漢和辞典『字通』には下記のようにありました。

 

所見・しょけん】見るところ。考え。『荘子・列禦寇』-「夫れ明(人智)の神に勝たざること久し。而るに愚者は其の見る所を恃(たの)み、人(為)に入る。其の功、外なり(物の世界に止まる…)亦た悲しからずや。」《白川静『字通』平凡社・1996

 

「所見」とはこの詩では「見たまま…」と言う意味のようです。解釈として先ず1・2句目はそのままでしょう。「牧童が黄牛に乗り、よく通る声で歌を歌っている。」問題は3・4句です。「不意に急に歌をやめて牛から降りる。そして鳴いている蝉を捕ろうとしている。」ということは、つまり、蝉は初めから鳴いていたのではなく、この2句目と3句目の間に、突然、蝉が鳴き始めたのでしょう。蝉はそれ以前には鳴いていない…と考えるほうが自然だと思います。そうすると、この蝉は「初蝉」か「ヒグラシ(蜩)」でしょう。初蝉は勿論、その年初めて聴く、鳴く蝉のことです。多少マニアックですが、「ヒグラシ」は夕方になると、突然「カナカナカナ…」と降るように鳴き出します。因みに東京では今年はまだ初蝉の声を聞いていません。

 

まあ、どちらの蝉にしても…歌を歌っている牧童が、突然の蝉の声にハッとおどろき、歌をやめて、蝉を捕ろう(蝉に意識が向く)、と反応する。その「《一瞬の牧童の心のおどろき、感動》」を、敢えて、わざと「蝉が突然鳴き出した」という「言葉」を使わずに、表現したのでしょう。視覚的な「見たまま」であれば…この状況は分かりません。「言葉」として歌、蝉の声、は書かれているし、理解もできます。しかし「牧童のハッとした感動」を「文字を見たまま・字面」ではなく、読者に想像させようとしたのでは…と思います。

 

この袁枚の『所見』に合わせる日本の詩となると、季節は春ですがこの俳句はなかなか良いと思います。

 

     木々ぬらし 石うかちつひに 春の海   水原秋櫻子

 

【水原秋櫻子・みずはらしゅうおうし(明治25年・1892 -昭和56年・1981)本名:水原 豊(みずはら ゆたか)、東京・神田生まれ。俳人、医師。当初、窪田空穂に師事、短歌に取り組み、後に俳句へ転じた。高浜虚子から指導を受け、昭和初期の「ホトトギス」で活躍。初句集『葛飾』は、昭和5年・1930、医業でも活躍するが昭和30年・1955より俳句に専念、昭和37年・1962に俳人協会会長就任。

 

私は、現代俳句はあまり知りません。ただこの句は、だいぶ以前、葛飾柴又帝釈天を訪れた際、境内でこの句碑を偶見して感動したので覚えていました。山々に雨が降り、その雨は木々を育て、また川の流れとなって石を穿ち、削り、そして最後に春の海になる…そしてそれはまた雲となって雨となって…という、わずか17文字でよくもこんな壮大な雲・雨・川・海・水蒸気・雲の循環を(しかも袁枚の「牧童の一瞬の驚き」と同様、敢えて「雨」や「水」の語を使わずに)、こんなに解りやすくアッサリと詠めたものだと感動したのでした。しかも最後に「穏やかな春の海」…人の一生のようでもあります。

 

ただ、水原秋櫻子については、他の作品をほとんど知らないので何とも言えません。俳諧とはいえ、諧謔詩人袁枚とは別の角度からこの句を詠んだような気もします…。秋櫻子はもともと短歌から俳句に入ったの人のようで、如何に17文字に凝縮表現するか…という思いの結果なのかもしれません…

 

左:柴又帝釈天(正式名称:経栄山題経寺)境内端にある句碑(筆者撮影・2012年)水原秋櫻子は葛飾の自然風景を愛していたと言います。

右:『洛中洛外雨十題・八幡緑雨・大正8年・1919』横山大観(明治元年1868-昭和391964)滋賀県立近代美術館蔵 京都、石清水八幡宮のある八幡辺りの竹林に降る雨を描いたものでしょう。句碑が黒い御影石に白い文字で重かったので、雨つながりで、直接は関係ない夏の雨を並べてみました。

倣和漢朗詠集

 

◆これまでの流れと復習

さて、そもそもの発端は、No.39「孫文のいた頃」で取り上げた「国や文化によって異なる時間の概念」を知りたかったのでした。そして、勿論その背後には「日本とは何か?」という大テーマがあり、その一環として「日本の時間観」を探りたいと考えたのでした。当初、加藤周一(大正8年・1919-平成20年・2008)の『日本文化における時間と空間』岩波書店・2007年を参考に、古代ギリシア、ユダヤ・キリスト教、古代中国の「時間概念」「歴史観」を比較検討、そして極めて難関であった「華厳哲学・道元の時間論」等を、ともかく何割かは理解し得たように思います。

 

そして、ここ数回にわたる加藤周一の語る「日本の時間観」の根底は、奇しくも?果たして?道元や華厳の時間論である「刹那の連鎖」と同じように「それぞれの事件の現在=〈今〉の継起が時間に他ならない。」No.58「孫文のいた頃」)でした。そして、その「今の継起」という考えをもとに日本語文法の「語順」について考えたのが前回でした。

 

そして、文法の「語順」の観点から欧米文法と対比して、動詞(結論)が最後に来る日本語を次のように分析したのでした。ヨーロッパ語では読者の注意が全体から細部へ向い、日本語では細部から全体ヘ向う。すなわち従属句の叙述する細部が、日本語では、文の全体から離れてそれ自身を主張するのである。細部と全体との関係を、時間の軸に投影すれば、細部を、時間の流れ全体のなかでの、それぞれの〈今〉と考えることができるだろう。文の全体から離れての細部(従属句)の強調は、前後の時間から離れての〈今〉の強調である。現在の出来事の意味は、自己完結的で、それを理解するために、必ずしも過去や未来の出来事を参照する必要はない。No.59「孫文のいた頃」

 

◆中国語、近代ヨーロッパ語、日本語の「時間表現・時制」について

さて今回は、前回予告した通り、加藤周一の『日本文化における時間と空間』(岩波書店・2007年)に沿って、文法上の「時制」の表現について考えていきたいと思います。先ず、中国語、近代ヨーロッパ語における「時間表現・時制」を考え、その後、日本語におけるそれとの比較考察をしたいと思います。

 

▶中国語:古典中国語の動詞には時制がない。話題の出来事の時間的な前後関係は、副詞によって指示されるか、文脈から理解されるにすぎない。」加藤周一『日本文化における時間と空間』

 

例として下記が挙げられています。

和戎詔下十五年 将軍不戰空臨辺 和戎の詔、下り十五年、将軍戦はず、空しく辺に臨む

陸游の『関山月』(1177年春・成都での作)

〈和戎〉すなわち南下する金との和約を宣言した南宋の皇帝の詔(みことのり)が下って15年経ったというのである。その間南宋の将軍は戦わなかった。〈詔下〉が過去の出来事であるのは〈十五年〉からわかるので、〈詔下〉に過去を示す語尾変化や助動詞があるからではない。〈不戦〉・〈臨辺〉は、15年前から詩の現在までの持続的状況を言う。前後関係からそのことはあきらかである。しかし前後関係(文脈)を除いて、この第2行のみを取り出せば、将軍が戦わずして辺境に臨んでいたのか、いるのか、いるだろうなのか、全くわからない。(同上)

 

日本語・古典として「漢文」を学習した私は、しかも古典(唐詩・論語等々)しか知らないのでつい、反射的に「書き下し文」(日本語化)で理解する習慣がついているためか、気付いてもいませんでしたが、あらためて指摘されると…なるほど、動詞「下」(くだる・くだり)に「過去を示す語尾変化」も無ければ「過去を示す助動詞」もないという指摘に、今さらのように納得したのでした。

 

そして、中国語学習者の皆さんには自明のことながら、外国語としての中国語を知らない私としては古典中国語の動詞には時制がない」と言われると、なら現代中国語はどうか?と反射的に考えてしまいます。あまり深入りしてもしょうがないのですが、気になったので調べてみました。結果下記です。

 

【註】現代中国語には「相・Aspect」を表す「3つの助詞」と「1つの副詞」があります。

:「我吃饭。」「食事を済ませた」これは過去というより、「動作完了を表す助詞」。従って「明天我吃饭就去。」「明日、ご飯を食べ終わったら行く。」とも言えます。未来なのに「了」が付くのは、これが「時制」ではなく「相」である証拠です。

:「门开。」「ドアが開いている。」即ち「状態持続を表す助詞」

(過):「我去北京。」「北京へ行ったことがある。」即ち「経験を表す助詞」

:「我看书。」「本を読んでいる。」これは「看」を修飾「進行を表す副詞」

 

「助詞」は唐・宋代には口語では存在していたようです。おそらく「社会」が拡大し、他民族間との交易等、複雑化し、「文脈に頼る」のみでは対応しきれなくなり、「助詞」は「書き言葉」としても発達していったのでしょう。これはこれで大変興味深い問題なのですが、私の悪い癖で「興味」があっちこっちに飛んでしまうので、この辺りでとどまります。中国語の時制についての結論としては、現代中国語でも、厳密な意味での「時制 (Tense)」はなく、あるのは「助詞」を使用した「アスペクト(相・Aspect)」ということになります。さて、次は「近代ヨーロッパ語」を見ていきましょう。

 

▶近代ヨーロッパ語(時制・Tenseと相・Aspect

上記でもふれましたが、「各国の文法における時間観」を考えるのに、「言語学」に登場する、この「時制と相」という考え方の知識は必須なようです。特に、後に検討する「日本語」に「時制」はほぼ無く「相」で表現されます。そして一方、近代ヨーロッパ語では「時制」が主流になります。先ずこの「時制・Tenseと相・Aspect)」について整理しましょう。

 

▷「時制・Tense」と「相・Aspect

一言で言えば、「時制・Tense「出来事が線分的時間軸状の〈何時・いつ〉であるのか?」を示し、「相・Aspect「出来事が(話者から見て)どういう状態であるか?」を示します。

 

☆「時制・Tense」:出来事が線分的時間軸状の〈何時・いつ〉であるのかを表す

出来事を発話時点で、「過去・現在・未来」という「線分的時間軸」との関係で、その「線分的時間軸上」に位置づける。

例えば英語で「I eat.」「I ate.」「I will eat.」これは「食べる」という出来事が、「現在・過去・未来」のどこにあるかを示しています。

 

ここでNo.40「孫文のいた頃」でふれた「ユダヤ・キリスト教的時間」観を、つい思い出してしまいます。勿論、言語学的に「近代ヨーロッパ語の時制」がこの時間観に由来している、と私が結論できるはずもないのですが、あくまでも連想として、どうしても「ユダヤ・キリスト教的時間観」が思い起こされます。

 

「そしてこの時、始まりと終わりを持つ「ユダヤ・キリスト教的時間」観では「終末・天国の出現」に向かって時間が進行します。(或いは、この「終末・天国の出現」という「未来」こそが、過去を語り、取捨選択して出来事を並べている…とも言えます。)この「終末・天国の出現」は、「キリスト教」を勉強したとしても、信者でない限り、我々一般の日本人には非常に解り難い部分ではあると思います。(後述しますが、特に、日本的時間観の主たる「円周上の循環的時間観」からは…つまり「線分時間」は我々日本人にはかなり想像し難いことです…。)常識的に「始まる前」と「終わった後」があるはずだと思ってしまうからです。

「もし時間が無限の直線ならば、それを構造化することはできず、全体との関係において、いかなる時点〈現在〉での出来事に意味をも考えることはできないだろう。時間が無限に続く円周上の循環とされる場合には、同じ出来事がくり返される。今年の春は去年の秋の後であり、今年の秋の前である。出来事の前後を語ることはできず、現在の出来事を過去の出来事と関係づけることもできないだろう。始めあり終わりある時間直線の上でのみ、過去は水に流す(あの事は水に流す)ことはできず、未来の風はどこへ向かって吹くかわからない(明日は明日の風が吹く)のではなく特定の終局へ、「約束の地」へ、即ち究極の目的へと収斂するのであり、究極の目的こそがそこに到るまでの過程で起こるすべての出来事を意味づけるのである。()内は筆者

加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年・岩波書店(No.40「孫文のいた頃」

 

☆「相・Aspect」:出来事が(話者から見て)どういう状態であるのかを表す

同じ出来事において、その出来事を話者から主観的に「始まったところ」「途中」「終わった」「終わって結果が残る」「繰り返している」等々にとらえ示す。

後に詳述しますが、日本語は「時制より相が非常に発達している」ようです。「日本語の場合アスペクトをまず「食べる/食べた」と二大区分し、さらにそこから補助動詞を使って「食べている/食べておく/食べてしまう/食べていく/食べて来る」など、ニュアンスをさらに細かく分けていく。これらはひとつとしてテンス・時制ではない。」(金谷武洋・かなやたけひろ・1951‐『日本語と西欧語』講談社学術文庫・2019年)

 

ただし、例えば、英語でも、「相・Aspect」表現はあり「I eat.(出来事全体)」「I am eating.(出来事途中)」「I have eaten.(出来事完了)」これは全部「eat」という同じ出来事ですが、相(Aspect)が異なると言えます。

 

▶近代ヨーロッパ語における時間観

さて以上の「時制・Tense」と「相・Aspect」という考え方を頭において、近代ヨーロッパの言語を見て行きましょう。「近代ヨーロッパ語(文法)の時間観」加藤周一の結論は下記です。

 

「近代ヨーロッパ語の場合には、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する。」(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

 

上記の詳細説明は下記です。

 

「ヨーロッパ語の時制は、過去・現在・未来を明瞭に区別するばかりでなく、過去(または未来)の2つの出来事の、前後関係をも明示する。すなわち文法上の過去と大過去との区別は、多くのヨーロッパ語に共通の特徴である。日本語文法にはその区別がない。(同上)

 

ここで「日本語文法」に言及していますが、少し先回りをして、いささか極端な大雑把な結論をあげておきます。日本語文法には、動詞において「現在形」も「未来形」も「過去形」もありません。(こう言われて混乱してしまうのは、我々が学習してきた「学校教育の文法」が「ヨーロッパ現代語文法」を踏襲し過ぎた結果のようです。)詳細は後ほど。

 

「さらにたとえばフランス語では、過去の出来事に持続的なものと、時間線上の1点に凝集しておこるものとを区別し、前者を動詞の半過去(imparfait)後者を単純過去(passé simple)で表す。

 

➡《恋する女主人公の眼は見えず、声も出なくなった。Mes yeux ne voyaient plus, je ne pouvais parler;》は半過去である。

➡《それより早く彼女の姉(妹)アリアドネーは、テーセウスに棄てられたナクソスの島の海辺で死んだ。Ariane, ma sœur, de quel amour blessée / Vous mourûtes aux bords où vous fütes laissée!》は単純過去である。

ラシーヌ(Jean Baptiste Racine・1639-1699)の「フェードゥル・Phèdre・5幕悲劇・1677)」、第1幕、3場

 

この2つの過去の区別は、英語にはない。イタリア語はフランス語に、ドイツ語は英語に準じる。フランス語における半過去と単純過去の用法のちがいは、もとより出来事の持続性にのみ還元されるわけではない。」(同上)

 

さて、ここで、フランス語文法に深く立ち入るわけにもいきませんが、日本語文法を意識しながら、少しだけ考えてみましょう。

 

そもそも日本語の動詞も活用はします。しかし、その活用によって欧米文法でいう「時制(tense)」を表現しているわけではありません。念のために中学時代に学習した動詞の「五段活用表」を一例としてあげておきます。

 

我々日本人は、通常、日常生活において日本語文法を意識しながら話したり書いたりしているわけではありません。ところが、外国語を学び始めると、ついその外国語の文法を意識して考えるようになったりもします。そして時には、その外国語文法の枠組みで日本語まで捉えてしまうことがあります。しかしながら、ここにおいて「言葉」は「世界観」です。

 

本来、学校教育では、このような日本語と外国語の文法体系の違いを意識して指導することも大切なことであると思います。しかし現状では、日本語は母語であるがゆえに、あまりにも自然なものとして受け止められ、その違いそのものが、あまり教育の対象となっていないように思われます。

 

あ…私の悪い癖で、また「近代ヨーロッパ語の時間観」の話が「教育問題」にまで飛んでしまいました。戻ります。以下に時制に関する「フランス語の動詞活用表」をあげておきます。詳細説明は勿論控えますが、水色でハイライトした部分が「動詞それ自体が変化」して「時制」を表します。「動詞自体」がさまざまな時制、(直接・条件・命令)法によって6種類もの独自活用形態を持ちます。

 

 

フランス語は英語よりも顕著に動詞の中に時間が含まれています。上記の単純時制(動詞自体が変化する)と英語との比較を下記に挙げておきます。

 

例として1人称のみを挙げましたが、フランス語では、それぞれの時制・法ごとに、動詞は1人称単数・複数、2人称単数・複数、3人称単数・複数という6種類(人称によって同形となる場合もありますが)に、人称・数に応じて活用します。つまり、1つの動詞が時制・法だけでなく、人称・数によっても姿を変えてしまいます。それは、あたかも動詞そのものの中に「時間」を閉じ込めているかのような印象さえ受けます。動詞自体はほとんど変化せず、助動詞や接続助詞などによって時間を表現する日本語とは、何と異なることかと、ため息がでるほどで、こうした違いを目の当たりにすると、「日本語における動詞の意味」さえ揺らいできそうです。「時間観」からは少し話が飛びますが、ふと学生時代、遠藤先生から投げかけられた「動詞と名詞では、我々にとってどちらがより切実な言葉なのか?」という問いを思い出しました。依然魅力的な問いではありますが、しかし、その問い自体もまた、言語によって世界構造が違うわけですから、「○○語において」という前提すら必要のようにも感じます。

 

さて、中国語、近代ヨーロッパ語の文法上の「時間観」について考えてきました。勿論、途中、チラチラと日本語との比較が登場(「時制」ではなく「アスペクト・相」表現が多い…等々)したのですが、日本語における「時間観」は次回に持ち越します。

 

そして、今回の考察でも、折にふれて言及していましたが、改めて見直した「日本語文法」についての印象を述べれば、実は、時間観だけではなく、日本語の文法構造そのものが、不思議なもののような気がします。

 

繰返しにもなりますが、極めて概略的・単純に言い切ってしまえば、日本語にいわゆる(厳密には欧米文法における)「現在形」も「未来形」も「過去形」もありません。まあ、もっとも…そんなことを…「他文化比較を通しての日本における時間観」を探るための考察でした。今回、「日本語文法」を見直して多くのことに気付きました。あるいは「主語・述語」も「時間観」同様に揺らいできます…次回に考えることになると思いますが「日本語についての欧米文法的解釈からの脱却」が、三上章(19031971)であり大野晋(19392008)であり、森田良行(1930‐)であり、金谷武洋(1951‐)の主張です…。そして「脱却」したその先にどんな「日本語の正体」があるのか…。他文化とは分かり合えるはずです。ただ、単純に類似を照らし合わせてみても「文化の本質」はわからないのでしょう…。

 

次回はそんなところから、考えて行きましょう。それにしても、我々の祖先が「孫文のいた頃」に、様々な分野で欧米文化にと峙し、そして自らの文化を考え、問い直してきた歴史は130年の後もまだ続いているようです。

以上

2026年6月

 

 

追記 フランス語時制「Imparfait・半過去」(「終わらない思い出」を表す時制)

各国・各文化の言語における時間観について考えてきました。言語構造は文法に表れます。フランス語学習者の私(大した学習ではありませんが…)としては…でも、日本語にも英語にも、中国語にも存在しない、多少大げさな表現をすれば、この「半過去・Imparfait」…終わらない思い出を語るような「美しくも切ない時制」について、何とか、非フランス語学習者の方々にも伝わるように、努力して、紹介しようと思います…。

 

上記コラム本編で加藤周一は「半過去・Imparfait」について、ラシーヌの戯曲の例を挙げて、下記のように説明していました。

 

「たとえばフランス語では、過去の出来事に持続的なものと、時間線上の1点に凝集しておこるものとを区別し、前者を動詞の半過去(imparfait)後者を単純過去(passé simple)で表す。」

 

このコラムをお読みの皆さんは、或いはフランス語学習者は少ないかもしれませんが、「《言語》とは《世界》を捉える1つの《方法・大げさにいえば儀式作法》」であり、その「言語構造の正体である文法」という観点から、もう少しこの「半過去・Imparfait」を掘り下げてみたいと思います。これは「フランス語の学習」を意図するものではありません。我々にとって不可解な時制を持つ言語のその「不思議・時制(時間についての考え方)」について、非フランス語学習者の方も一緒に、考えてほしいと思っています。

 

「半過去・Imparfait」については、マルセル・プルーストの有名な言葉があります。

 

“J’avoue que certain emploi de l’imparfait de l’indicatif – de ce temps cruel qui nous présente la vie comme quelque chose d’éphémère à la fois et de passif, qui, au moment même où il retrace nos actions, les frappe d’illusion, les anéantit dans le passé sans nous laisser comme le parfait la consolation de l’activité – est resté pour moi une source inépuisable de mystérieuses tristesses.“

Marcel Proust《Sur la Lecture, note》

 

「私は告白しよう。〈Iparfait・直説法半過去〉には、ある独特の用法がある。この時制 -《人生を、はかなく過ぎゆくものであると同時に、私たちにはどうすることもできない受動的なものとして提示する、この残酷な時制は、まさに私たちの行為を描き出すその瞬間に、それらを幻影のようなものへと変え、過去の中へと消し去ってしまう。そして、完了時制(parfait)がなお与えてくれる〈自ら行為した〉という慰めさえも、私たちには残してくれない》- この半過去のそうした用法は、私にとって尽きることのない、神秘的な悲しみの源であり続けてきたのである。」

『読書について』より

【註】「マルセル・プルースト」:Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust(1871-1922年・明治4年-大正11年)フランスの小説家。大作『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカと並び称される20世紀西欧文学を代表する世界的な作家。漱石(1867‐1916・慶応3年‐大正5年)鷗外(1862‐1992・文久2年‐大正11年)孫文(1866-1925・慶應2年‐大正14年)と同時代。

 

「半過去・Imparfait」の定義というより、何やら散文詩のような雰囲気ですが、天才小説家はそう感じたのでしょう。そもそもこの「Imparfait」を日本語では「半過去」という訳語で一般に呼ばれていますが、否定の接頭辞「Im‐」が「Parfait・完璧、完了」に付いて、文法用語としては「相・Aspect」としての「完了ではない」、「未完了」を表しているように思えるのですが、しかしそれがいつから「時制」として扱われるようになったのか…、大変興味深くはありますが、私の能力をはるかに越える問題なのでここでは通り過ぎます。

 

ただ上記プルーストの「半過去・Imparfait」についての考えに戻れば、「未完了」とは、動作が終わっていないというだけではなく、人間の心の中で、まだ終わっていない時間、「終わらない記憶、思い出」であり、そして、全てのものは、時が移ろうそばから、瞬時に過去になり、思い出になり…そう考えれば、儚くもあり、切なくもあり、プルーストの言わんとすることも、わからなくはありせん。

 

さて少し冷静に、以下にアンリ―・ミショーの、私の大好きな《LA MER・海》という短い詩をフランス語の「時制」を考えるためにあげておきます。この詩には下記の5つの時制が登場しますが、それぞれ色分け表示をしてみました。非フランス語学習者の方でも、まあ何と色々な時制を使用するものか…とお解り頂けると思います。フランス語のすぐ下に日本語訳を付けて、対応する動詞等をなるべくわかりやすくしたつもりですが、詩の翻訳なので、ある程度の「意訳」はしています。

 

LA MER『海』

Ce que je sais, ce qui est mien, c’est la mer indéfinie.

ぼくの知っているもの、ぼくのもの、それはあの言いようのない海

 

A vingt et un ans, Je m’évadai de la vie des villes, m’engageai, fus marin.

21歳の時に、町の生活を抜け出して志願して、水夫になった

 

Il y avait des travaux à bord. J’étais étonné.

(ところが)船の上にも辛い仕事はたくさんあって…。ぼくは驚いてしまった

 

J’avais pensé que sur un bateau on regardait la mer, qu’on regardait sans fin la mer.

船の上では、人はただ海を見ているものだと、ただ果てしもなく海を見てさえいればいいものだと思っていたのに。

 

Les bateaux furent désarmés. C’était le chômage des gens de mer qui commençait.

おまけに船はドックに入ってしまった。海の男達の失業がはじまったのだ

 

Tournant le dos, je partis, je ne dit rien, j’avais la mer en moi, la mer éternellement autour de moi.

背を向けて黙ってぼくは立ち去った、なぜって、海はぼくの自身の中にあったから、永遠にぼくから離れることのない海が。

 

Quelle mer? Voilà ce que je serais bien empèché de préciser.

それがどんな海かって? ほら、それが、どうにもうまくは言えないところなんだけど

 

【註】「アンリ―・ミショウ―」:Henri Michaux(1899-1984年・明治32年‐昭和59年)は、ベルギー生まれのフランスの詩人・画家。特異なイメージや内面的風景をそなえた詩によって、またアンフォルメル*の先駆けとなった絵によって、20世紀の文学と美術において独自の地位を占めた。

「アンフォルメル」:(フランス語:Art informel、非定型の芸術。英語:Informalism)は、1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向。同時期のアメリカ合衆国におけるアクション・ペインティングなど抽象表現主義の運動に相当する。―Wikipedia

 

文法説明のために「詩」をバラバラにしてしまって鑑賞しにくくなってしまいました。再度挙げておきます。美しい詩だと思いませんか?

 

『海』

  ぼくの知っているもの、ぼくのもの、それはあの言いようのない海だ。

  21歳の時に、町の生活を抜け出して、志願して、水夫になった。(ところが)船の上にも辛い仕事はたくさんあって。ぼくは驚いてしまった。船の上では、人はただ海を見ているものだと、ただ果てしもなく海を見てさえいればいいものだと思っていたのに。

  おまけに船はドックに入ってしまった。海の男達の失業が始まったのだ。

  背を向けて黙ってぼくは立ち去った、なぜって、海はぼくの自身の中にあったから、永遠にぼくから離れることのない海が。

  それがどんな海かって? ほら、それが、どうにもうまくは言えないところかな。

 

この『海・LA MER』はアンリ―・ミショーの詩集『試練・悪魔祓い 1940-1944・ÉPREUVES, EXORCISMES 1940-1944』掲載されている詩です。このタイトルの下に小さく置かれた「1940-1944」(下記写真参照)は実際、1940630日のナチス・ドイツによる「パリ陥落」、そして194466日、連合軍の「ノルマンディー上陸」、825日の「パリ解放」までの期間です。当然この期間を意識しての、タイトルの一部であると思います。実際の出版は1945年です。アンリ―・ミショーはこのいささか矯激なタイトルの詩集の序文でこのように語っています。翻訳本も出ているようですが、下記は私の翻訳でそれほど間違ってはいないと思います。

 

試練、悪魔祓い』序文

「毎年起こる何千という出来事が、ことごとく完全な調和へと帰着するなどということは、けっしてあり得ないことで、必ずや、心から離れず、傷となって内に残るものがあるはず。

ならばここにおいて、やるべき、ひとつのことがある。それは〈悪魔祓い〉。

あらゆる状況は、依存であり、さらに幾百もの依存の重なりでもあり、そこから、1点の陰りもない満足が生まれるなどということは考えられないし、どれほど行動的な人間であろうと、それらすべてを現実の中で有効に打ち破ることなど不可能である。

ならばここにおいて、やるべき、ひとつのことがある。それは〈悪魔祓い〉。

〈悪魔祓い〉とは、力による反撃であり、破城槌を打ち込むような攻撃であり、それは、悪魔によって捕らわれた人々にとっての、本物の〈詩〉のことなのだ。

苦悩と固定観念のまさにそのただ中へ、これほどの高揚、これほどの壮麗な暴力を、言葉の激しい打撃と共に注ぎ込む。すると、しだいに苦しみは解けて、悪魔はやがて、空中にただよう気泡となって… さあ、何と素晴らしいことだろう!

現代詩の多く、すなわち解放のための詩、それは〈悪魔祓い〉である。しかしそれは、ある〈術〉による〈悪魔祓い〉だ。自らを護持しようとする潜在意識・本能が、夢にも似た想像力を行使する〈術〉なのだ。あるいは、目的を慎重に探りながら進められる〈術〉であり、覚醒した夢にも似た働きだ。

夢だけではない。数えきれないほどの思索もまた、人を悪魔の捕らわれから救う営みではある。哲学体系でさえ、本来は別の目的を掲げているように見えながら、その多くは実のところ、或る種の〈悪魔祓い〉なのだ。

確かに、実際そこにも解放はある。しかし、その性質はまったく違う。

そこには、〈詩〉による〈悪魔祓い〉の持つ、矢のように1直線に飛ぶ、過激で、ほとんど人智を超える勢いは存在しない。また、押さえ込むべき悪魔が、稲妻のように眼前に出現しても、それを魔術のように砲撃する砲塔も持たない。

この〈詩〉における垂直に噴き上がる爆発的な感動こそ、人間にとって最も偉大な瞬間のひとつである。望みもしない支配の中で苦しむ人々に、〈詩〉はいくら勧めても勧めす足りない…ただ、もっとも、その力を呼び覚ますことは容易ではない。多くの人はほとんど絶望の淵まで追い詰められて、ようやくそれを気付く。

さて、これをご理解いただけるなら、本書冒頭の詩篇は、何か特定のものを憎んで書いたものではなく、人を縛る力から自らを解き放つために書かれたことが分かるはず。

そして、それに続くほとんどの〈詩〉も、ある意味では術による〈悪魔祓い〉である。そしてそれらの存在理由はただ一つ。敵意に満ちた世界を取り巻く諸々の力に対し、立ち向かう〈王手〉をかけ続けるためなのである。」

 

ここで「祓われるべき悪魔」とは、1つには「戦争」であり「ナチスの狂信」であり、一般にフランス人の嫌う「idée fixe・固定観念」であり、そしてそれら政治・社会状況もさることながら、「悪魔」は言葉に潜むものであり、詩人の仕事は「言葉からの解放」なのでしょう。アンリー・ミショーにとって詩とは「言葉によって言葉の呪縛から解き放つ」「悪魔祓い」なのでしょう。

 

この『海』は「試練・悪魔祓い」という詩集の最後のページに登場します。実際彼は21歳で水夫となって世界中を旅したようですが、この『海』こそ、「言葉からの解放の象徴」なのでしょう。なるほど、定義し難く、うまく言えないはずです。陶淵明の『飲酒』の「此中有真意 欲弁已忘言・この中に真意あり。弁ぜんと欲すれど已に言を忘る。」に似てなくもないと思います。

 

左:『ÉPREUVES, EXORCISMES 1940-1944』ガリマール出版社・Éditions Gallimard1981

右:アンリ―ミショーによる無題のデッサン(1943年)。画家としても有名で、今

調べたら、国立近代美術館でも16点程、彼の絵画、デッサン等を所有しています。

Henri Michaux – Poetes d’aujourd’hui・現代の詩人』セガース出版社・Éditions Seghers・1975年より。

 

No.59 第一驕人六月天の「孫文のいた頃」をみるlist-type-white